恋愛とセックスに関わる話。
Netflixで公開されている「アデル、ブルーは熱い色」という映画が好きだ。
フランスのレズビアンが主役の映画なのだが、どうにもこうにも魅力的で定期的に何度も観てしまう。
特に自分の恋愛がうまくいかないときに視聴回数が増える傾向があるが因果関係は謎だ。
あんなパリっ子のようにアンニュイでスタイリッシュに恋愛をしているわけではないけれど、どことなく深く通じる何かを感じる。
パートナーとの出会い方も少しだけ似ている感じがあったので重ねてしまうのかもしれない。
自分がどんな人間なのかに不安を感じる時期も、
恥も外聞もかなぐり捨てて、ただもう必死に相手を好きになる模様にも、
どことなく俯瞰で相手を好きでいる様子も、
寂しさを紛らわせるためだけにふらっとよそ見をするアデルの危うさも、エマがそこに気がついてしまってからの怒りやゆるせなさも。
安定的か挑戦的に楽しむか、
あるいは教育的な格差で決定的に違ってしまう価値観がありながら、性的にはすごく惹かれてしまうあの感じも。
わかるなぁと思って観てしまう。
私は自分に対してあまり性別的な役割を固定しない面があり、レア・セドゥ演じるエマのスタンスに何かとてもしっくりくるところがある。
こと恋愛となると、何かが自分の中でスイッチするのだ。
友人関係や仕事の場ではそんなに意識することもないのだけど。
だからどことなく男性的と言うべきか、父性的と言うべきか(適切な表現かどうかは置いておいて)、
恋愛時に可愛く女性的な雰囲気で甘えられることにはやたらと、それはもうめっぽうに弱い。
だからその手を使われるとかなりわかりやすくコロッといく感じがある。
我ながらチョロい。
しかしいざというときにデレっとしてしまっても何かこうアレなので、割としれっとしておく。とても恥ずかしいので。
照れ隠しのため無駄にジェントルマン精神を意識しては「寒くないか」などと聞いてみたりして格好つけるのだ。
最大限やさしく丁重に接したい、
そんな気持ちがワッと湧き上がるのが恋愛におけるたまらなく最高な瞬間だと思っている。
SかMかで言えば、私はサービスのS派です!といったところかもしれない。
鞭を使用するなどの経験や興味は今のところまるでないのだが、まぁサービスすることが好きらしい。
セックスにおける欲求は人間的なところで割と深いものだなと思っている。
自分がそうされたいと願っていることをすることにとてつもない幸せを感じるのだ。
けれど、相手の欲求に一番に敏感でなければいけない。
セックスは決して自己満足であってはならない。
だからこそものすごく奥が深い。
ハッキリと言えば私は好きな人とする、こころの通ったセックスが大好きだ。
気持ちがいいとかの次元の話ではない。
自分が相手に触れている、相手と体という垣根を超えて溶け合った気がするというすごく不思議で強いあのこころの感覚は、やっぱり愛があってこそのものだなといつも思うのだ。
それは絶対にこころをゆるせる相手としか持てない時間だ。
「アデル〜」のあの有名な長丁場のセックスシーンを観ていると性的な感情よりも神秘的で芸術的なものを感じる。映画だからそれは当たり前だしキャストの美しさがそうさせているのはもちろんなのだが。
「好きだ」「やっぱり嫌い」「ありがとう」と「ごめんね」「どこにも行くなよ」「さっきのあの顔、言えなかったけど最高だった」など
とにかくもう言葉にできない色んな感情を全部一緒くたにできる時間だと思っている。
そして最後にはふわぁ〜っと優しい気持ちになれる。
少しすれ違うだけでとてつもなくさみしい時間にもなる。
テクニックとか小手先のことではなくて、
自分と相手の欲求を体を使って伝え合える時間そのものに対する気持ちだ。
だから声を大にして言おう、私は大好きなパートナーとするセックスがとても好きですよ!
アデルとエマのようなラストを迎えるのがいわゆる「恋愛」なのかなとも思う。あれは性別とかそういうことに関係なくどこにでもある恋愛模様を描いた映画だと思うので。
願わくば私も幸せな時間が続きますように、といったところだが、可能性がゼロではない失恋も含めて、生きているからこその悲喜こもごもをトータルで楽しめる人生を送りたい。
長くなってしまった。
セックスに関する情熱がヤバい。夜だしな。
あとになって恥ずかしすぎて消すのかな、この記事。
…と思いながら投稿します。