こころから幸せを願ってるよ
ふと、自分が幸せになりたいと思うのなら、誰かの幸せをこころから願うしかないのだと思った。
その人のために何か行動するとかそういうことじゃなくて、ただ本気で願うだけ。
だって、その人がその人生の中で幸せになってくれればそれだけ、私がどんどん幸せになれるということだから。
相手が「今が幸せとは思えないよ」と言うならば、やっぱりその人の幸せを本気で願う。
相手が幸せかどうかは、相手にしかわからない。
もちろん、自分が自然に行動したことで笑顔になってくれたならそれほどうれしいことはないし、苦しいことやつらいことがあるのなら、どうかそれが次の幸せへの架け橋となりますようにと思う。
相手が幸せになるのにこちらがどれだけ何をしたかは大きな問題じゃないのだと思った。
心地よい原動力じゃない気持ちで相手のために行動してもそれは誰のためにもならないかもしれないし、
気持ちを強くこめても“相手のためだけに”行動したらそれは単に“自分の安心のために”相手に変化してほしいだけなんじゃないかと思う。
相手本意で幸せになってくれることが幸せ、と思えるのが一番幸せなんじゃないかと思うのだ。
逆のことが自分にも言える。
私の幸せを本当にこころから願ってくれる人だったら、私がただ幸せに生きるだけで幸せにできるということだ。
だから、私の幸せを願ってくれる人しか私は幸せにできない。
私は、自分の人生を幸せに生きていきたいと思う。それをこころから幸せだと思ってくれる人が奇跡的にいるのかいないのか、それはわからない。わからないことが、この人生の醍醐味なのかもしれない。だって、きっと永遠にそれはわからないのだから。
わからないことがある方が、人生は面白い。
でも、私が幸せでいることで誰かが幸せなら、それはなんて幸せなことなんだろうね。
私にはさいわい、本当に幸せでいてほしいと願う人が何人かいる。お腹の底からそう思うのだ。
そういうのを祈りともいうのかな、やっぱり願うというのかな。
そんな人が胸の中にいることを誇りにも思う。それだけですでに満足なのに、その人がもしも今幸せならば、私はそれこそがこの人生のよろこびだ。
不幸やいじわるなことを願うのではなく、私はやっぱり幸せを願っていたいよ。そんなふうに思っちゃうくらい傷ついてひねくれることも、人生を生きてれば誰にでもきっとあるけどね!もちろん私にも。でも、やっぱり幸せがいいよね。
私の幸せは、私の中にある。
それは私が大切に思う人の幸せをこころから願うこと、それだけなのだ。