届ける気のないラブレター
前に付き合っていた人と一緒に食事にいったときと自分のことを供養のために書こうかなと思う。
私は、実を言うと食事があまり得意な方ではない。
ごはんを食べることは大好きだ。
だけど、前に病気をしたことがあり、今は健康だがそれから胃腸があまり強くなくなったので、その日のコンディションによってはあまり量を食べられないのだ。これは未だにある種のコンプレックスでもある。
そんな自分が数年前、付き合った人とデートをすることになった。
食事を万全の状態で迎えたくて、一週間も前から念入りに体調を整えた。
ただ、楽しみたくて。
その人は、私が好きそうなお店を選んでくれた。その気持ちが本当にうれしかった。
お店に着き、私は浮かれていた。
たぶん、相手の人もちょっと浮かれてたんじゃないかな、なんて思う。
一人では絶対に食べないふわふわの三段重ねのパンケーキを頼んだ。結構有名なお店だったらしく、パンケーキは脳が溶けるかと思うくらい美味しくて舞い上がっていた。
私が美味しいと舞い上がると、ちょっとぎこちなく照れて笑う相手の表情を今でも覚えている。
帰りがけ、相手の人はトイレに立った。
待っているそのとき、よその席から思いがけない言葉が聞こえた。
誰かのある点を珍しそうに、そして好奇心と含んだ笑いで品評するような内容だった。
ただ楽しかった席に、バシャっと水をかけられた気持ちになった。
一緒にいる人が今、席を立っていてよかったと思った。私と目が合うと、話していた人たちは気まずそうに目を伏せた。目を伏せなきゃいけないくらい、その人たちが恥ずべき内容なのだと思った。
そして同時にそう思うよりも強く、私の好きな人のこれからの人生に笑顔で優しい気持ちでいる時間ができるだけ多くありますように、と願った。願うだけじゃなくて、私が目の前にいるときは少なくとも笑って過ごす時間をたくさん作りたいと思った。それが付き合っている人かそうでないかは問題ではなくて、友人や知人、私の周りにあたたかくいてくれる人達みんなに対して自分がそう在れたらと思った。
本当に強く強く、そう思った。
一年ほど前にその人と私は別れたので、その人の目の前では実現ができなくなったけどその思いのベースは今でも変わらないなぁと思う。
誰かの心ない言葉があったとしても、その人がいま大切に思う人と、その人らしい過ごし方をしていますように。
伝えることをひたむきにがんばる人だったから、誰かからの誤解があったとしてもあの真剣な顔でどこかで、その人のやり方で、きっとがんばっているのだろうな、とも思う。
そんな人を好きになった自分を心強く思うし、
今でも大切な思い出だ。
幸せに暮らしていますように。
私はいま幸せに過ごしているから、私と私の周りに今いる人をこれからも大切にしてできるだけ笑って、泣いて、また笑って過ごしていこうと思う。
そうやって明日からもがんばろう、自分!
そんな自分へのエールをこめて、書き終わりとします。