たったひとりの帰り道
帰り道が好きだ。
夕陽が大きく空を映しているとき、
そこにはいつも私の好きな人たちの顔が浮かぶ。
みんな今なにしてるのかなぁ、と毎回思う。
あの人はたぶん、こんな顔してるだろうなー
あの人はきっと、そうね、やっぱり忙しいのかしら
そういえば、あれからあの人に連絡してないけど…まぁ相変わらず穏やかなんだろうな
それからあの人はたぶん、のほほんとしていて
あの人はたぶん、犬のさんぽ
長い間どうしているかわからないままのあの人も、まぁまぁなんかその人なりの生活をしてるんじゃないかなぁ
みたいなことをずっと思っている。
実際は、電車に乗ると私はどうもいつも目のやり場がなくて、しばらくの間少々困る。
私は単純に座って向かいの窓から外を眺めていたいのだが、まっすぐ前を見ていると対面して座る人たちにとっては少し気になる瞬間もあるのかもしれない。
何回か目が合ってしまう。正直スマン、と思う。
しかしこちらは景色を見たいのだから仕方がない。
一心不乱に電車の窓の外の景色に見入るというのは、割と高等な技だ。
人の意識にとまらないよう、そして集中するためにも自分の気配ももちろん極力消すが、そこに居合わせた人の気配も自分の中から消すよう努める。
私には、自分ひとりきりになる時間が絶対に必要なのだ。どうしても。
たったひとりの私になったらあとはもう自由である。
明日の私と、三年後くらいの私を思い浮かべたり、非現実的な夢をみたり、いきなりへんぴな土地に住む空想をしてみたり、どこへだって行ける。何にだってなれる。
その時が一番たのしい。
たぶん、いつになっても相変わらずなんだろうな、と思う。
そんなに変わることはない。
そこに希望がある。
一緒にいる人は違っても、今みたいにきっと誰かと笑いあって、おおいに泣いたりして安心して、性懲りもなくどうしようもないことに腹を立て、お腹を空かせ、また話をしたり聴いたりして、くだらないことで延々と笑うのだろう。
この世界を、私はひとりで生きている。
そして、他のみんなもそれぞれに、ひとりでその人生を生きている。
ひとりとひとりが一緒にこの世界で共に生きている。
だから、人を愛したい、と強く思わずにいられない何かがある気がする。
こころの奥と、からだの叫びみたいに、誰かを愛したがってしょうがなくなる。
愛したい。
だから、だいすきな帰り道はだいすきな人達のことを浮かべて、その人たちをたまらなく愛しく思って家につき、その気持ちを大切に抱きしめて眠る。
ただただ愛しいこの人生が、私は本当にだいすきだ。