大切なものは、目に見えない(星の王子さま)
「星の王子さま」が好きだ。
最初に読んだのは、たしか小学校五年生くらいのときだった。
私だけではないと思うが、星に住む王子さまの冒険ファンタジー物語として捉えていた気がする。
大人になってからも大好きな物語なので何度も読み返すうち、少し前までは「王子」と「そうでないキャラクター」を対比して読んでいた。
命令したがりで体裁ばかりが気になる王さま、
他人からの賞賛しか目に入らない自惚れ男、
アルコール中毒の呑べえ、
損得ばかり気にするビジネスマン、
休むことなく、そこに何の疑問も抱かず一分ごとにただ星の灯を点灯し働き続ける点灯夫。
三十年以上生きた今思うことは、
誰のこころにも必ず王子がいて、どのキャラクターもいつでも存在し得るのだ、ということ。
王子が愛した薔薇も、誰のこころにもいる。
この世にたった一本の、かけがえのない薔薇。
まるで自分のためにこの世に生まれたきたのかと思うほどの出会い。
その薔薇にようやく出会えたのだと思っても、はじめはお互いの主張ばかりして大切なことに気がつけない。ふと周りを見渡すと自分にはたった一本しかないと思っていたその薔薇が、実はどこにでも咲く花のうちの一本に過ぎなかったのだと気がついてしまう。その絶望感。
だから王子は自分の星を出て、地球でキツネと出会い、少しずつ距離を縮める。すっかり信頼し合ってから然るべき時に別れる。
このシーンは「お互いに別れ合う」みたいな言葉がしっくりくる気がする。
その状態で王子は砂漠で飛行士との出会いを経験する。
飛行士と出会った時には既に「こころの目」で見ている状態。だから、尋ねなくても飛行士が「大切な存在」と別れてきたことがわかる。
王子と花はすごく愛し合っているけど、一緒にいることはできない。
だけどこころの中にはずっと大切に残っている。それを自分のこころが知っていれば、もう充分なのだ。
「その時」がくると、ちぎれるくらいに悲しくなる。だけどそれだけ愛しているということでもある。
だから、別れるかどうかは重要じゃない。
先ほど、そんなことを考えていたら、ふとへびのことが急に「こういうことか!」と腑に落ちた。
へびは「死」を象徴するものなのではないかと思う。だから一見、すごく怖い。へびが王子に近づくと飛行士も銃を向けて追い払おうとする。でも実は、怖いのはへびではない。
ヘビの言葉からは優しさが感じられる。
「遠くまでこないとわからないこともありますよ。」と王子に囁く。なんだか達観してる感じがある。
そう、遠くまできたからわかることがある。
へび故のその出立ちや噂から、これまで一体どんな経験をしてきたのだろうか、と思わされる。
愛でつながるために体というボックスはもう必要ないのだ、ということ。
目には見えないけれど、ちゃんとこころでつながることができるのだ、ということ。
それをへびはわかっていて、王子をやさしく導いたのだと思う。死や別れは、もちろん怖いけれど怖れる必要はきっとないのだ。
大切なことは変わらないから。
王子はことあるごとに薔薇のことを気にし続けている。
そして自分が住む星のことを考えている。
星とは、自分のこころのことだ。
自分のこころだから、自分でちゃんと手入れと世話をし雑草を取り払って、大切な薔薇を咲かせ続けなくてはいけない。
雑草は放置するとみるみるうちに大きくなってしまう。雑草の芽がバオバブだったらすぐに侵食されてしまう。
自分のこころだから、自分で手入れをする。
こころがバオバブに侵されていると感じるときが、私にもある。
でも、自分の力で草木を刈り、ちゃんと手入れをしなくては。
誰かに手入れしてもらうのではなく、自分で。
そして砂漠の中に隠された見えない水をみつけてこころに注いであげたい。
いつまでもいつまでも、私のこころには王子がいる。空を見上げるたびに、星にかえった王子が不安に泣いていると思えば空は急に悲しく見える。
王子がそこで笑っていると思えば星空が急に楽しい笑い声になる。
だから悲しいことが起きたら、私も空を見上げようと思う。
そして大切な人にも、空を見てほしいなと思う。
そのように見ようとすれば、そうなるから。
だから私のこころに、いつまでも王子と薔薇は、笑って一緒に生きている。