人生を楽しく愛したい!ブログ

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私の大切な人について

 

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相当恵まれた人生だと思っている。

こんな書き出しをすると、どことなくお説教じみた文章かなと思われるかもしれない。

 

何を隠そう私自身が昔、そのフレーズにそう感じる人間だった。

 

「気づいていないだろうけどあなたは相当恵まれている人なんだよ。感謝しなくちゃね」

 

そんなニュアンスに感じ取っては自分を恥じていた。

感謝してるつもりだけど多分伝わってないのだなと。私って人に感謝できない自己中でだめな人なんだな、と。

 

でも今になって思う。

 

もしそんなことがあったとして…。

いや、人間なら誰しもあるだろう。

その時は本当に精一杯すぎるほどに無理をしていて、こころも体もボロボロだったんだ。

見守ってくれる人も確かにいる。でもきっと、いっぱいいっぱいな気持ちがその貴重さや有り難さを一気に時間の遥か彼方に押し流していってしまっているんだよ。

かなしいことだけど、目の前の圧倒的な事実を前にしてどうにもならなくなっている。

そんなにまで追い詰められているだけなんだよ。

人のことを思えなくなるときは、自分が極限状態にあるとき。生きてれば誰だってそんな風に困る事はあるよ。

 

私は人生に疲れきってしまったある一時からすべてを手放して、やることが何もない時間を作ってみた。

 

訪れる苦難の数々も「ただ乗り切る」のではなくて、ひとつずつ着実に自分の経験として踏みしめて歩けるように、今でもがんばっている最中だ。

 

心の多忙に押され続けて気がついたら難事が過去に流されていった、みたいな感じではなくてひとつひとつの出来事を「味わって経験してる」という感じ。

 

でもまだまだだということも自覚している。

ただ、そんな風に過ごしていたら私の周りにぼんやりと、ふわっといつも居てくれる人の顔が感謝の気持ちと共に浮かぶのは事実だ。

思い浮かぶのはみんな決まって優しい笑顔。

 

ふわーんと光る円になって、私を取り囲んでくれているイメージ。

 

そのあたたかさにじんわりする。

すごくこころ強くて、それだけで力になる感じ。

こころの底からポツリとお礼を言ってみる。

 

もちろん直接に伝えたいけれど、何もないのに急にそんなトーンでお礼があったら「何かあった!?」と笑われそうだから、

本当に何かあった時には絶対に伝える。

 

いっぱいいっぱいな自分だった頃、そこを出来ずにお礼に欠いて友達にかなしい思いをさせてしまったこともある。

もうそんなことにならないよう、私が私の余裕をちゃんと作っていかなくちゃ。

 

そんな風に悔やむ思いをさせてくれるほどの友達を有り難く思うことも、今ある自分の中のあたたかい存在に気づくことも両方大事にしたい。

私も誰かにとってのそんな存在であれるように誠実に、自分の人生を生きていきたい。

また何かを見失って礼儀に欠けた行為をしてしまうことはあるかもしれないけど、

できるだけ忘れずにいたい。

 

誰にもわからないのに、なんの得にもならないかもしれないのに、そうやって力になって私の中に在る人が確かに居る。

私には、その存在が希望なのだ。

何にも変え難い、大切な存在。

 

私もそんな風になれたらなぁ。

ちゃんと見ていてくれる人っているんだな。

人生ってすごい。

ありがとうございます。