私が絶対に幸せにするよ。
ひとの中にある愛を信じたいと思う。
仕事帰りのバスの中でふと、ここに乗っているひと全員がやさしい気持ちの持ち主なんだよな、と思った。
それからもう一度車内の風景をぼんやりと眺めたら、一見疲れて見える人もなんだかすごく穏やかに見えた。
帰路につき、家の玄関を開けたらその人々の生活がそれぞれにあって、使い慣れた扉や生活用品、布団があって、その人なりの過ごし方をするんだなぁ。
イライラしたり、どんよりしたり、わくわくしたり、ほかほかしたり、色んな気持ちがそこにある。
そんなことをイメージしたら気持ちがあったかくなった。
ねこさんとか犬さん飼ってる人もいるのかな。
亀さん飼ってる人もいるかもしれない。
お子さんがいるひともいるんだろうな。
パートナーがいたり家族と住んでる人もいるんだろうな。
恋人に電話する人とかもいるのかも。
そして、私みたいにひとりでただじっと、夜は何かについて黙って考えたりツイッターをしたりブログを書いたり音楽やラジオを聴いてダラダラすることが好きなひともいるんだろう。
それぞれのひとにそれぞれの生活があって、
時々誰かと交わって、ああでもないな、こうでもないなって思案して、次の日にハッと何かひらめいて、
そんな生活をしてる私もまた、どこかで労働を終えたらみんなと同じバスに乗って家路についている。遊んだ日も、やっぱり家に帰る。
何にもしない日は、家にいてその日なりの日常を過ごすだけ。
ふとしたときに自分が求める芯からの気持ちに気がつき、何かが舞い降りたかのようによろこびを感じる瞬間が、一日に何回かある。
私は気づくのが遅い方なので少し時間はかかるけど、「そのとき」は必ずきょうも訪れると知っている。だから起きるのがそれなりに毎日たのしみだ。
時間をかけた分、じっくりと感じ取る日もあるし、唐突にわかるときもある。
自分自身のこと、ひとのこと、私に見えている大切な世界のこと。
見えない何かに思いを馳せて想像することも、私にはなくてはならないかけがえのない時間。
他愛ない話ができる間柄のひとがいてくれる有り難さとか、お誕生日おめでとうって伝えられる誰かがいる幸せとか、みんなみんな、当たり前のことじゃない。
日常生活って、とっても贅沢なものだなぁと思う。
人生は、日常という贅沢の連続だ。
そして自分なりに生きた過去という素晴らしい過程への誇りが地続きになったものだ。
そこにいたる痛みやかなしみも含めて、きょうまでの道のりに笑顔で手を振ろうと思う。
だから見ていてね、未来の私。
人生を自分の選択でつくって彩りをもっと足していきたい。
私はどんな人も心の中に絶対に揺るがない確かな愛をもっているのだと信じることがとってもだいすき。
だから自分のことも、世界のこともだいすきだ。
私だけの愛しい世界、これからも絶対に私が幸せにするね。