S田さんの結婚
最近、私の知っている人が結婚した。
知っている人、などと書くとまるで知り合いかのように思われるかもしれないがそんなことはない。
事実、私はその人のことを全くと言っていいほど知らない。
その人は相当な有名人である。
単純にタイプだったので私の「キュンとしたから逃したくない」という本能が網を広げて脳内でキャッチし、一方的に時々意識していた人、くらいなイメージである。
そんな“憧れの有名人”が一般人の私なぞ知る由もない。
これが、どう見ても私のタイプなのだ。
カッコいいんだかかわいいんだか、どちらともつかないよくわからない表情をよくするのである。私はどうもそのテの感じにコロッといくところがある。
前述した通りかなりの有名人なわけだが、なぜだかその人の「内側」を知ることにものすごく抵抗があった。
名前の漢字の読み仮名すら未だに曖昧だ。
大枠の職業は知っていても詳細は知らないよう徹底し、普段はどんな服を着てどんな生活を好んでいるのかなど、何ひとつどうでもいいこととした。
もちろん性格も。
なにせ、名前の読み方すらも曖昧にし続けたほどだ。
ここまでくると意地でも知らないでいよう。そう思い、「キュンと」の灯火をそちらに変換して燃え上がらせ密かなるその状態を楽しんでいた。
現時点でわかることはただ一点、
「とにかく見た目がタイプだ」ということ。
しのごの言わずにそれだけなのだ。他に特に理由はない。
うっとりすることに集中したいときはそれだけでいいこともある。
だからその人がたまたま目に留まるたび、
「おお、やはりタイプだな…」
と思うことでたいへん満足していた。
知らない、知りに行かない、その「謎めいた部分」をおおいに楽しんでいたわけである。
あとは単純に自分の生活の一部分の時間を使ってでも調べようとするほど強い興味の対象ではなかったのかもしれない。個人的なつながりができるとは思えない有名人だし。
しかしタイプである、繰り返すがそれだけだ。
そこへもっての、今回の結婚のニュースである。お相手がこれまたなんと美しいことか。
この方についても、大変僭越ながら私は何も存じ上げない。たった今初めてよく見た感じの人だ。しかし美しい。それだけだ。
この感覚を表すとするならば「アート」ではないか。そんな風に語彙をなくすほどの美しさである。
私の思う「美と美」の結託である。
一方で、私は一抹のさみしさを感じた。
その人のある一面が、それだけでない「色々」が、「わかってしまった」のだ。
「文句のつけどころがない、純粋に素晴らしい結婚」なのだと思うが個人的にはどうも面白くなく、とてもさみしい。
なんだろうか。
表現力がないのが情けなくもあるが、ただシンプルにさみしいのである。
めでたいことはめでたいのだろう。
だがしかし、なんとまぁさみしいものだろうか。タイプの人が結婚するということは。
何も知らないよう努めてきたのにこれである。いや、それも覚悟の上で秘めたる想いを持ってきたのかもしれない。
何も知らなくてよかったかもしれない。
私はこと人に関しては、その人が自分のこころに影響力が強いとわかると「あまり内側の部分を積極的に知りたくない」という気持ちになることがしばしばある。趣味とかは別で、むしろオタク的に際限なくどんどん調べてしまうのだがタイプの人物には少し謎を残しておきたい。
そして、その人が私に直接伝えてくれたことの中かから何かを感じ取っていきたいのだ。
その気持ちを有名人にまで持つとはなんたる不届き千万、
直接などという機会は一生訪れないだろうに、一般人なりに多少の夢を見続けていたかったのかもしれない。
さてしかし、その人がタイプだということは変わらないが今回のニュースでどことなく興味を失ったかもしれない。なのでこれを機にガンガンどんな人かを調べまくるかもしれない。全然そうしないかもしれないけど。
新たなる「密かな憧れの対象」を探し、ぼんやりとまた誰かにキュンとしながら生きようと思う。