あの頃のあの街
友達とふとした話題で20年前のことを話していた。
その友達とは不思議な縁でつながっている。
同じ時期に似たような生きづらさをもって、同じ街で彷徨っていたのにそのときは一度も会えなかった仲だ。
私も友達も、帰る場所を探し求めていたのは間違いない。
安心してやすらげる家が欲しかった、ただの純粋な子どもだったと思う。
ふたりとも学校には行っていた。
私は途中で挫折したけれど。
似たような校風のちょっと上品な私立校だった。
学校において、ふたりともどこか自分達が浮いていると感じていたのは間違いないようだ。
他の人たちとは何かが決定的に違うと感じ始め、それが何なのか家に帰ってもわかるわけもなく、私たちは刺激の多い街に答えを求めて彷徨い出したのだと思う。
私は学校ではいい子ちゃんだった。
抜け目なく、優秀だった気がする。
でもガス抜きの仕方がわからなくて途方に暮れていた。
結局、やり方がわからないまま不健全な発散方法ばかり見つけていたかもしれない。
でもその過程を経てよかった。
そうしてしまわずにいられない人の気持ちがうっすらとだけどわかるような気がするからだ。もちろんわかったとは言わないし、個々の体験はまったくの別物だけど。
でも少なくとも経験から「そうなるのも無理はないよな」と思える土台はできた気がする。
そのときはインターネットで知り合ったハンドルネームだけしか知らない友達と場所と時間だけ伝え合い、よく集まっていた。
今はその人たちの連絡先も知らない。
よくあんなに毎回会えてたもんだな、と思う。
その時に知った人のうちひとりは、自殺をした。
高校を卒業する頃だった。
不思議と悲しくなかった。
いや、悲しかったかもしれないけど、どこかカリスマ性がある人だったから逆にみんなの中で神聖化された気がしていた。
その後20代になり、まったく別のコミュニティで出会った友達も立て続けに3人亡くなった。
自殺なのか事故なのかはっきりしない人もいる。
その中には2年くらい生活環境を共にした友達もいる。
次々と知り合いの訃報を受け、私の心は段々とあまり動かなくなっていった。
それ以来、死という現象に対する私の感じ方があまり感情的なものでなくなったのも事実だ。
知らせを受けてもあまり悲しんだりはせず、どこか淡々と受け止めるようになってしまった。
そしてそれから私はSNSを通じて人とやり取りすることを、一切やめた。
でも、その人たちの思い出は今でも胸に残っている。
冒頭に話した子は大人になってからはじめて出会った。とある場の座席がたまたま前後だったから少し話しただけのきっかけだった。
偶然なのか必然なのかわからない出会いだ。
それからかれこれ何年もずっと郵便などによる交流がある。
震災や台風被害などがあったときなどは食料を送り合ったりしてきた。
生き延びるためならなんだってやってきたふたり。遠く離れた場所に住んでいるのにとても不思議だ。
そこには友達としての愛がある。
20年前のあの街は、汚かった。そして色んな人が彷徨っていた。
今は綺麗になっていてあまり面影がない。
景色はどんどん変わる。
私も変わる。こうしてまたSNSに触れるようにもなった。
私はあの心細かった自分が魅力を感じてしまったあの頃のあの汚い街がなんだかとても懐かしい。
自分供養のために今度また訪れようかな。
そんなことを思っている。
この文章を公開することを快諾してくれた友達に、こころより感謝しています。