ただいま、東京。
子どもの頃、私の世界は家から学校、近所の公園や森までだった。
半径5キロ圏内が、私の世界のすべてだった。
そして私は、中学高学年から高校に差しかかる頃、ひそかに電車で東京に行くようになった。理由は色々あるが、東京にはとにかくなんでも揃っていると思ったのだ。果てしない冒険心と大人にみつかる怖さの入り混じった奇妙なワクワクだった。
実際、その時の私が望むものは東京になんでも並んでいるように見えた。お金がなかったのでほとんど手にすることはできなかったが、少ないおこづかいを握りしめて買える範囲の「新しい物、珍しいもの」を戦利品として持ち帰った。
思春期は我ながら行動的な時期だったので、たった一人で大きな催し物などにも参加した。
今思うと無謀な挑戦もたくさんあったが、その無謀さを褒めて認めてくれる大人も少しばかりはいた。
それが功を奏したのか、大成したい夢ができた。
そこからは夢中だったなと思う。
ほどなくして私はその夢中な物事の中で大きな挫折を味わった。これがなくなったら人生はどうなるのかとお先真っ暗な気持ちになった。
東京にはなんでもあるけど、自分は何も手にすることが出来なかったな、と思った。
あれからどれくらい経っただろうか。
今はまったく違う気持ちで、違う場所から東京を見ている。
行き道では線路の向こうに咲く景色をみつけて。
帰り道には小さなお菓子を持って。
ぜんぜん東京の人なんかではないけど、行くとなぜか「ただいま」と言いたくなる。
ただいま、また来たよ。
私の挫折の街。
だけど、過去の希望とがんばりの思い出がいっぱい詰まった街。
子どもの頃にはわからなかった気持ちを持って行ったり来たり、元気にそれなりに、あくせく過ごしている。
電車に乗ってしばらくして見上げれば、そこは東京だ。首が痛くなるほど見上げてもてっぺんが見えない高層ビルが立ち並び、どこもコンクリートとガラス張りで室外機の吐く息が暑苦しい東京。
みんなが汗拭き汗拭き、急ぎ足の東京。
でも、少し都心から離れると穏やかな顔をした商店街や蔦の緑の溢れる昔ながらの屋根が続く東京。
お月さんが綺麗な、多摩川のある愛しい東京。
また行くね。
そのときは「ただいま、夢の街」って言うからぜひとも「おかえり、よく来たね」って言っておくれ。