ピチピチ女子ってほんとに素敵。
中学三年になった頃。
思春期と受験と家庭のストレスがすべて重なって私は塾の行き帰りにやたらと菓子パンを食べていた。あの頃はよく売ってた「ローズネットクッキー」。これをご存知の方はいらっしゃるだろうか。
当時の記憶だが、こぶし大くらいの大きさで500キロカロリーをゆうに超える、おそろしい揚げパンクッキーである。この脅威のカロリーに対して、私はとあるワークショップで咄嗟に「ローズネットクッキーの恐怖」と名づけ、開催してくださった方に少々褒められて有頂天になったことがある。ローズネットクッキーだけでなくコッペパンジャムなど、某パン会社の甘いパンをとにかくよく食べていた。
ある日気づいた。
あれっ!制服がきつい…!
これがローズネットクッキーの恐怖の本領発揮を知る大事件である。
忘れていた体重計におそるおそる乗ると、記憶していた体重からいとも簡単に11キロ太っていた。
11キロ、である。
目の前が白黒し、しばらく前後不覚になるほどショックを受けた。何回か乗り直して見たが間違いない。
これはまずい…!私は焦った。
夜ご飯を抜いてみるものの所詮は中学生の浅知恵、結局お腹が空いて塾帰りにまたローズネットクッキーにかじりつくというなんとも間抜けな行為を繰り返していた。
その頃から体型の変化を学校で男子に段々とからかわれ始めた。
そこからのエスカレートと壮絶な色々はあまり書きたくない。というか、書くのも馬鹿馬鹿しいほどくだらない上に非情な内容なのでそんなことに文字数を使うことがもったいない。
それはいわゆる「いじめ」だった。
ここから私の長い長い摂食障害がはじまる。
本当に長い道のりだった。
これを書くのは本当に勇気がいる。記事を出すときはどんな時でも基本的にドキドキするけれど、特に躊躇ってしまうものはこういった感じのもの。この記事も実際何週間も下書き欄に眠っていたままだった。
でももう手放してもいいかな、って思えた。
ちゃんと前に進みたいと思えているから。
そして私は確かに変化しているから。
私が盛んに「人の体や生き方について意地悪に何かいうのはどうかと思う」的な主張を繰り返すのはこの体験があるからだ。
私は長く暗いそのトンネルの中でずっと出口を探していた。その先に見えた光は、評価のない世界だった。他人からの評価じゃない。
自分自身に評価をくださない世界だ。
大切なのは外見ではなく、私自身の内面にあるやさしさや、私が私を愛してあげる力だった。
安心な世界を自分でイメージして、そこに自分が住んであげることだとようやく気づいた。
目に見えて形ある物にレッテルを貼らないということはかなり勇気を使うことだとわかったのがこの摂食障害体験である。
不安定なときはどうしても「これはよい、だからこれは悪い」と判断して自分を落ち着かせたくなる。自分に対しても、他人に対しても。
すごく難しくもあるが、とにかく世界は安心なのだと信じてみると、見るもの全てがまるで違うことに気がつく。景色は美しくてごはんが泣けるほど美味しいことにも、人が本当はすごく優しいということにも。
良くも悪くも私は今ここにこの状態でいる。
自分なりにベストを尽くしてきた道のりだったことに間違いはない。
中には健康的でないやり方もあったかもしれない。私は自分の力で治療を受け、前よりそこそこ健全な考え方をできるようになったと思う。
今では自他共に認める割と健康なだめ人間だ。
ほがらかにそう言ってアイスを食べられる幸せな毎日が今ここにある。
人から何かを言われたとしてもそれによって人生を振り回されることはない。もちろん参考にはするけれど。まずは自分がやりたいことをやってみたい。
そう信じたくて自分自身に向け、言葉にして書いているブログでもある。
あの頃の自分は馬鹿にされるほど太ってなんかいなかった。標準水準に照らし合わせてその頃の体重を思い返してもまったく問題ない。健康的なみずみずしい体重だ。
そもそも太っていたって痩せていたって問題の本質はそこにはないのだ。その言葉を揶揄して使うことにこそ、問題があるのだ。
私はふっくら可愛い、どこにでもいる思春期のピチピチ中学生だっただけだ。
そして今でもどこにでもいるような、ごく普通の、そして最高にいいヤツなんだぜ。
たぶんだけどね!
自信持っていこうぜ、私!
きっと未来はもっと明るいのだから。