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自己紹介について。

 

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ツイッターを始めるとき、自己紹介に自分を表す文章をいくつか記載した。

 

たったそれだけでものすごくドキドキした。

そういうものなんだと思う。

 

「その自己紹介はわざわざするほどのものじゃないんじゃない?聞いてないよ」と思われる方もいるかもしれない。

でも私は長らく自分の恋愛観に疑問を抱いてきた。

その疑問の根本となるところが何かをわかっていなかった頃、単純に自分が女であることがいけないのだろうと思った。

だから一時期は女性的な機能を全てなくすために無理に痩せようともした。

体のラインを消したかったし女性としての生理現象も全部なくしたかった。そうしたら何かが解決する気がして。

他にもいくつか複雑な問題が絡み合っていたから原因はそれだけじゃないけど、極端に痩せようとした過去の目的にはそんなものも含まれていた。

 

今では三食を健康的に食べ、標準的と言える体重になった。自分に訪れる生理現象に死ぬほどつらい思いをさせられることもなくなった。

だからこそこれは素晴らしいことなんだと言い聞かせるためにプロフィールに書いた気もする。

このように生まれてきたことはちゃんと誇っていいことなんだぞ、と。

 

今の状態として私は、体が女性であることや生理があることには前よりも拒否感が薄れた。

生理周期によってメンタルバランスが崩れたり体力が落ちるのは嫌だけど。

 

でも、微妙なニュアンスの違いなのかもしれないけど「子どもを産む為の機能」はいらないかもしれない。自分にとってはあまり現実味がなくて。

 

外見をある程度許容はできたので今はフェムっぽい格好をすることにも、脱毛や美容に関心を持つことにも割と積極的だ。

こんなことを思いつつ、やっぱり自分なりにある程度のラインを超えた話題をこうして文字にするときは人としてやっぱりドキドキする。

同じタイプかな、と思っても感じ方は人それぞれなのだろうなと思う。自己紹介に同じようなことを書いている人同士でも伝わらない感じもあるだろう、と個人的に思っている。

 

本当に人それぞれなのだ。

ただそれだけなのだ。

 

だから「話しても大丈夫なんだ」と思える安心感のすごさがよくわかる。相手にとって理解はできなくても、聴いてもらえることにすごく有り難さを感じる。

こういうことを人に話すときは無意識に誰かから何かを指摘されるんじゃないか、と警戒してしまうのかもしれない。ちょっと人と違うのかな、と思うとやっぱり不安だから誰かに聴いてほしい日もあるのだと思う。

 

なんか今日はムズカシイこと書いた気がする。

実はここのゾーンを詳しく深く考えるのがあまり好きじゃない。

どっちかと言うと、のほほんと生きていたい。

専門家じゃないから、あんまりわからないでいることもそれはそれで気楽なのだ。

 

だから今日は、ここまで。

 

今日もいい日だったな。がんばって生きてるといっぱいいいことがある。

たのしい日だった。今日という日よ、ありがとうね。

また明日。