そうするしかなかった自分
最近、とあることで私はおそらく軽い「燃え尽き」に近い状態を感じていた。
物事の展開になかなかついていけなくてちょっと疲れてしまっていたのだ。
人生には唐突な別れや物事の終わりがくることはわかってはいたけど、いざその状況が自分に訪れるとその喪失感はやはり想像していたよりも大きい。
喪失と向き合うことはおそらく、誰もが簡単にはできないことなのでは、と思う。
それでいいのだとも思う。
でも、大きな別れを経験して尚、また笑い合えるよろこびがあることも経験上、知っている。
完全に癒えるまでにはちょっと時間がかかるかもしれないけど、今、たのしくて笑ってる。
それでいいじゃないか、と思えることが人生の色んなところにある。
私は、失ったものばかりじゃなくちゃんと「今あるもの」にいっぱい囲まれてる。
それが「あるかどうか」は、私が見ようとするかどうか、そこにしかない。だから、私は今あるものをもう一度、まっさらな気持ちになって見たい。今見えていないものにも、もっと気づいていきたい。
「あるから、あるの。」それで充分だとも思うし、もっとある気もして欲張りだけど、でもそれも人間らしくて明るい未来が見えそうな、今がもっとよくなるイメージ。
たぶんそれは、信頼とも言えるもの。希望でもあり、応援でもあり、私自身の中にある力でもあるもの。
そのときそうするしかなかった自分と相手との、自分なりのこころのつながり方をこれからもただやっていくだけなのだ。
目に見えないからこそ力がある信頼と、確かにある私の中の愛を感じて、何度でもしっかりと世界を見ていきたい。
その時そうするしかなかった自分を、たった今から、またゆるしていきたい。そして、また愛でつながっていきたい。