自分の価値
思い通りにならず悔しい思いをすることがある。
そんなときを振り返ると自分という存在を無償で提供していた時間があったように思う。
誰かと一緒に過ごす時間は、自分と相手の時間をお互いに与え合う貴重な時間だ。
決して当たり前の時間ではないなと思う。
思い通りにいかないことがあればそれはそれなりに面白くないけれど、自分の欲求を押し通すこともしたくない。いっときはそれでまやかしの快感を得られるのだろうけど、こころから気持ちよくはないはず。
かといって自分の時間や思いを押しつぶしてまで相手の望む時間を与えることともまた違うし。
それを自己犠牲というのだろうな。
上記のどちらのタイプでも、心底信頼したかった人にそういったことをされたなと感じると、やっぱりさみしくなってしまう。
腹立たしくなり、そのうちにかなしくなってくる。
もう、自分を無償で提供しない。
自分の時間は自分のために使いたい。
そして、相手にもそう在ってほしいと願わずにいられないのかもしれない。
それも一種の価値観の押し付けにすぎないかもしれないけど、やっぱりそう思ってしまう。
私は自然にいられる間柄が好きなのだ。
幸いにも今は自分が自然にいられる人ばかりいてくれるのでこの人生は我ながらとても質が良い。
自分の価値は間違いなく、自分が存在していることの中にきちんと光ってあるのだから、少なくとも自分がただそれを大切にしていこう。
価値って言葉を使うのもなんだかなと思ったのだがまぁよい。そんなニュアンスのことだ。
自己肯定感を下げる人からは、離れる。
それも自分を低く見積もらないための手段のひとつだなと確信している。