会話ってセックスと似てる。
会話はセックスとほとんど同じだと思っている。
初めはお互いにぎこちないのだ。
でも相手を知りたいから色んな角度から少しずつ探り合い、知り合っていく。
そこには思いやりがある。
優しく触れた方がいいかな、とか
もう少しここは強引に押してみよう!とか
やっぱりちょっと不安がっているかな?とか
いざってときは決めてやるぞ!とか。
その内に言葉がなくても気持ちが通じ合った気がして、なんともいえず高揚したり安心感に包まれたりする。
そこに不安とか悲しい気持ちがない感じ。
ただ安心感に包まれてなんでも伝えてみたくなる気持ち。
これまでの私も
これまでのあなたも
今の情けなさも
だからこそ目指す強さも
それを知るからこその相手を一番に尊重する優しさも
すべては弱さを見せることから始まる気がする。
無防備に自分の全てを見せるのはとても勇気がいること。誰とでもできることじゃない。
言葉でならできるコミュニケーションを、体を使ってするのはパートナーとの関係ならではだ。
それができた時、愛を感じる。
一方的になっていないだろうか?
相手を置いてきぼりにしていないだろうか?
少しくらいそうなってしまう時間もみんなあると思う。人間だから誰だってそう。
それでもいいと思う。
そうなんだと気がついて、また相手と一緒に築く時間に戻ってこられたなら安心するから。
その時間に相手も私もありのままにちゃんと存在しているのだという実感が欲しい。
「あなたと過ごす私」という人が確かにあなたに尊重されていて、私も最大限にあなたを尊重している関係性。
今の自分とつながって、相手の今とつながる瞬間がそこにある。あなたの色んな表情を見たいんだよ。
自分の思うようにではなくて、相手と一緒に作り合う時間。
かけがえがなくて、唯一だと思える時間。
くっついたその箇所があったかくて涙が出るような時間。
体も言葉も両方使えばセックスだし、言葉だけを使うなら会話だと思う。
どちらも気持ちを持ってすることだから。
会話は、やっぱりセックスと似ている。
どんな時でもそんなことを思っているエロな女研究者です。