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オバケみたいな顔になった私

 

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ものもらいができた。

明日はとっておきの用事があるのにこれでは思う存分、化粧ができない。ものもらいの原因はだいたいわかっている。

シンプルに疲労と寝不足によるものだろう。

年齢と共に以前よりもこういったトラブルの治りが遅くなっていることにも気づく。

 

私は視力が弱い。いわゆるド近眼である。

そのため、生活していく上では眼鏡とコンタクトレンズが必須。

化粧をするために眼鏡を外し鏡を見る、その時点で既に見えていない状態なのでコンタクトをつけてから化粧をするしかない。

しかし、ものもらいがあると目の中に異物を入れることが困難になる。

化粧ができないとなると、それに合わせて服装もそれなりには変わってくるものだ。

ここが意外と難儀するところ。

当日近くになってから、しかもこの衣替えの時期にドンチャンとクローゼットを奥の奥までひっくり返し、その日のすっぴん度合いと天候に見合った別パターンのカジュアルかつ、お出かけに適した服を探し当てなければならない。これはかなり大変な労力と時間を要するものだ。

 

結果、本日は適当な服が見つからないまま遅刻ギリギリになった。化粧っ気のない、腫れ上がった目のお岩さんのようなズタボロの服の女が待ち合わせ場所に現れ、今日一緒に過ごした人の気持ちにはもしかしたら出会いがけに多少のサプライズを仕掛けてしまったかもしれない。気のせいだとよいのだが。

 

これを読んでいない限りは、明日ご一緒する方達にも同様のことが言えよう。

 

 

どこかひとつ具合が悪かったり都合が悪いところがあると生活上、連鎖的に波及して厄介ごとやストレスはどんどん広がっていくものだ。

 

これはどんな問題でも同じことが言えると思っている。

 

身体的か、精神的かのどちらかは問わず、何らかの物事に自分が困っているという現状があり、社会がまるでそれをモノともしていないように感じられると、私はとても参ってしまう。

急に自分だけが不運に生まれつき、社会の多くの人が特権を持って生きているかのように見えてくるのだ。

事実、そういったことももしかしたらあるのかもしれない。

 

そして紛れもなく私も、必ずどこかの面では誰かの苦労や試行錯誤に気がつけず、そして自分が持っている特権そのものを意識することもなく生きていけている、幸運な人間に違いないことも忘れてはいけないと思っている。

あまり好きな言葉じゃないが、マイノリティを自称していたはずがマイノリティ界の裸の王さまになってしまっている、みたいな現象というのは少しこわい。

 

困りごとがひとつあり、それによって次々と出てくる連鎖した難儀の数々は

「そもそもこれさえうまくいっていれば」というところに辿り着くことが多いのだけど、残念ながらそれは変えられないものであることが多く「たられば」の話にもなってしまう。

私は、変えられないものを変えようとしてしまっているときの自分のエネルギーの使い方を見たい。

もしかしたら、自分が困りきっているときのエネルギーの使い方はものすごく疲れる、燃費の悪いものなのかもしれない。

 

きっと、全部解決しようとするから疲れるのだ。

ここはひとつ、ものもらいオバケとして明日は割り切って過ごすことにドカッと腹を据えて楽しんでもいいかもしれない。

ハロウィーン期間だしタイミング的にも丁度いい。

 

そういうことにしておこう。

 

お岩さんにもかぼちゃのケーキやプリンを与えてあげてご機嫌をよくしてあげれば、自分自身にまずは呪われずに済むかもしれないと思った。

明日のたのしみのために、今晩はたっぷり栄養を摂り、ゆっくりお風呂に浸かり、早寝をしようと思う。